小田原を楽しむ総合情報マガジン|小田原ナビ

小田原のシンボル ”小田原城” 魅力!構造編

シェア
400年以上、小田原のシンボルとして人々を惹きつけている "小田原城"。
今回は、小田原城の構造について深堀りしていきましょう!
 

合理的で機能的な造りの数々

現在の小田原城は、江戸時代に城主となった大久保忠世や稲葉正勝によって大改造されたものです。
天守が27,2メートルもあるなど、難攻不落の城として整備されました。
大改造された中でも、今回はとくに特徴的な天守・本丸・常盤木門についてふれていきます。

1.天守

天守とは、戦時に最後の砦となるやぐらをさします。
天守の一階部分から石垣に突き出した部分があるのですが、
これは "石落とし" と言われ、石垣を登ってくる敵を石や鉄砲で撃退する際に役立った造りです。
現在の小田原城の天守は1960年に再建されたもの、
その前の建物は1705年から1870年に解体されるまで150年以上存続しました。
江戸時代に二度も天守が復興されたのは、小田原城が唯一とのこと。
三角形の装飾がバランスが良く配置された優美な造りの天守は必見です!
 

2.本丸

本丸とは、天守がある城の中心のことです。

現在は広場となっていますが、かつては本丸御殿が建ち並んでいました。

本丸御殿は、将軍が京都に入る際の滞在施設として使われていたため、
普段はほとんど活用されることのなかった建物。
維持管理費ばかりが莫大にかかり続けたため、『高価な空き家』だったといえるでしょう。
ちなみに、京都に入ることを「上洛」と言いますが、その由来は、
平安時代、平安京を中国の都『洛陽』にちなんで呼ぶことがあったため、
その一文字をとって洛が京都を指すようになり、「上洛」という言葉が生まれたそうです!
 

3.常盤木門

常盤木とは、常緑樹のこと。
北条氏の時代から本丸にあったという7本の松に由来しています。
常に緑色である松のように、小田原城と城下町が永遠に繁盛して欲しいという願いが込められているそうです。
現在の門は1971年に再建されたものです。
また、1本のみですが現存している松があるとのこと、是非探してみてください!
 

高く積まれた石垣で、見事な威圧感を感じさせ続けている小田原城。

江戸へと向かう参勤交代の大名たちは、

その巨大な城郭にしばし圧倒されていたに違いありません。

皆さんもぜひ、歴史に圧倒されてみてはいかがですか?

 
 
シェア

関連するマガジン

人気のマガジン

シェア