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江戸時代以降も活躍した小田原城のご紹介!

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小田原城が戦国時代「難攻不落の城」と呼ばれたのは有名な話だが、
北条氏の時代が終わった後、小田原城がどのように使用されていたかご紹介する。
 

江戸時代

一、将軍家の家として
現在の小田原城は江戸時代の外観が復元された天守閣を見ることができるが、
内部の歴史資料館には屋根瓦に施されていた「三ツ葉葵」を見ることができる。
これは徳川家の家紋で、小田原城が江戸時代徳川家の城として存在したことがわかる。
徳川家が小田原城を訪れた回数として記録されているのが、
初代・徳川家康 7回
2代目・徳川秀忠 4回
3代目・徳川家光 1回
14代目・徳川家茂 2回 
であり、歴代の将軍もかさんもまだしょうや訪れたことが分かる。

 

二、防衛の要として
小田原城は江戸を守るのに重要な拠点であり、
西から反徳川勢力が攻め込んできたときに防波堤の役割を役割をになっていた。
そのため、当時の小田原藩はいくつもの関所の管理を任されていたという。
戦国時代からの“城”としての役割を江戸時代では継承していたことが窺える。

 

 

明治時代

この時代には小田原自体が都心から気軽に行けるリゾート地として注目され、
小田原城には天皇や皇族が利用する御用邸が置かれた。
今のように城内が一般開放されるのは昭和以降になってからの話であり、
それまでは一般には開放されていなかったのが小田原城である。

 

 

昭和時代

小田原城本丸には猿舎がある。
これは昭和25年に行われた「小田原こども文化博覧会」の名残で、
当時は動物園だけではなく遊園地も設置されて非常に賑わっていた。
現在は天守閣の立つ場所も天守閣の再建前には観覧車があり、
こどもたちに大人気だったともいう。

 

このように小田原城は時代によってその姿を様々変えてきた。
しかしどの時代も近隣住民の生活の一部であったことは変わりはない。

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