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小田原のシンボル“小田原城”の歴史をご紹介!

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北条氏が争いに強かったことは
戦国の世で5代約100年にわたってその名を全国に響かせたことからもお分かりいただけるかと思います。
 
その北条氏の中心拠点となったのが「小田原城」です。
小田原城は対豊臣秀吉との小田原合戦でも落城することはなく、
城主の北条氏直の開城によってその戦に幕を閉じたほど最強の城である。

これほどまでに強い城であったことには2つの理由があるとされている。
 
1つ目が「総構」
小田原城は周囲9kmの城下を土塁と塀で囲い、
外側から攻めないと中心にたどり着けない構造でありました。
小田原合戦には数々の戦国大名が参加しましたが、
小田原城の総構をみて、自らの城に総構のアイデアを取り入れたほど屈強な盾となっていました。
 
2つ目が「北条氏の政治手腕」
北条氏が5代も続いたのは単なる偶然でもなく、
の長い歴史の中で確かな実績で領民から信頼される政治を行ってきたからこそのものでした。
だからこそ小田原は繁栄したのです。
また小田原合戦で有名なのが、北条氏直が黒田官兵衛との交渉の場で
自らの命を差し出す代わりに城兵や農民を助けるように懇願したことだが、
このエピソードからも北条氏が領民からの信頼が厚かった理由が窺える。
 
難攻不落と言われた小田原城、
今は江戸時代の姿として外観復元された天守閣を見ることができます。
歴史好きの方は小田原城を訪れてみることをおすすめする。
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